目次
亡き妻の連絡先
2024年1月妻が亡くなった。
親族・知人の連絡先は一切分からない。
情報は妻のスマホに集約されている。
スマホはロックされていて解除できない。
知人
妻と特に仲が良かった人は二人。
幼稚園通園時、通園バスのバス停が一緒で仲良くなったようだ。
私も数回話しかけられたことがあった。
幼稚園を卒園しても妻はこの二人と仲良くしていたようだった。
LINEのやり取りもあっただろう。
長期間既読すらつかなくなれば不審に思う。
まずは学校に問い合わせたようだが学校は個人情報を答えない。
二人は一緒に私の部屋を訪ねてきたので妻の死を伝えた。
知人A「大変ですよね!何かあったら言ってください!」
私「じゃあ、連絡することはないと思いますけど一応LINE登録させてもらっていいですか?」
知人B「あ、ごめんなさい!ベビーシッターさんが来るので、また今度」
私「今日はずっとおりますので」
二人とも帰った。
「また今度」なんてなかった。
二度とこの二人には会えなかった。
孤独になって藁にも縋りたかった。
きっと連絡しないけど繋がりが欲しかった。
社交辞令だった。
親族
妻は札幌産まれ。
親族は全員札幌。
葬儀をしても簡単に来れる距離ではない。
そもそも連絡先は分からない。
はがきや封筒を調べまくれば少しは見つかったかもしれない。
でも調べて連絡することを放棄した。
時間の無駄だと思った。
最優先は娘の心のケア。
やらなければならない手続きは山のようにある。
残った時間は全て娘の為に使いたかった。
義父
義父は2024年1月時点で余命半年以内だった。
妻は春休みに娘を連れて義父に会いに行く予定だった。
妻の遺志を継いで娘を連れて行くつもりだった。
しかし2024年2月、義父は亡くなった。
札幌に行く目的はなくなった。
娘は旅行自体を楽しみにしていた。
娘の楽しみを最大化することを目的に変え、札幌旅行を決行した。
義伯母
たまに手紙のやり取りをしているのを把握していた。
手紙を見つけて住所はすぐに分かった。
連絡しなければと思いつつも後回しにしていた。
新しい手紙が届いた。
義父の状況を知らせるものだった。
義父は余命僅かであり、義伯母が面倒を見ていた。
これに手紙を返す形で義伯母とのやり取りが始まった。
義伯母は素敵な方だった。
電話で何度か話したが妻の死を受け入れ、私の想いを受け入れてくれた。
妻の死を義父に伝えるべきかどうかも一緒に考えてくれた。
もう余命一週間というような状況だったので伝えないということになった。
妻の四十九日には花を贈ってくれた。
春休みに札幌に行き、娘と義伯母と私の3人で話すことができた。
娘はとても喜んでくれた。
義母
義母は認知症で施設に入っている。
施設からの封筒が定期的に送られてきていたので連絡先はすぐに分かった。
これも連絡しなければと思いつつもかなり後回しにしていた。
札幌旅行の予定を立て、義母に会いに行く計画を組み入れた後に施設に連絡した。
妻の死を伝えるべきかどうか悩んだ。
担当者の判断で伝えるのは危険だと判断し、伝えないことになった。
認知症が悪く進行してしまうことが懸念されたためだ。
札幌旅行で義母に娘を会わせることは同意してもらえた。
娘も義母に会えることを楽しみにしていた。
義母は妻に虐待を行っていた。
妻から娘への虐待の原因ともなっている。
リスクを感じていた。
しかし会ってみれば何と言うことはなかった。
娘にとても優しく接してくれた。
私は会う予定ではなかったのだが、施設の担当者の判断で私も会うことができた。
私にも優しく接してくれた。
認知症の状況はかなり悪かった。
繰り返される同じ質問。
「何年生?」
「どこに住んでるの?」
異様な状況だったが娘は冷静に答え続けた。
事前に認知症についてはインプットしてあった。
困惑していたかと思ったが娘としては「笑っちゃいそうだった」とのことだった。
異様な状況でもおばあちゃんと会えたことを楽しんだようだ。
動じない娘を凄いと思った。
義妹
妻と義妹は不仲だった。
電話で妻と義妹が話しているのを聞いたことがあった。
尋常ではない話し方だった。
嘲て笑う。
罵る。
義母が認知症で施設に入ることに関して相当揉めていたようだ。
義妹は札幌住まい。
妻は東京。
この状況で義妹は義母の介護を放棄した。
妻は札幌に行き、介護の手続きを全て行った。
妻の死後、義妹への連絡はできなかった。
義伯母が義父の世話をする中で義妹に会った。
義妹は義父の介護も放棄していた。
義父の状況を知り、病院に面会には来ていた。
偶然出会い、義伯母と義妹が繋がった。
義妹と電話することができた。
「私に連絡するつもりなかったですよね?」
「スマホで連絡先分かりますよね?」→私「ロックされていて分かりませんでした」
「それでも普通は伯母経由でまず私に連絡しようとしますよね?」
「伯母への手紙で私のこと一切書いてなかったですよね?」
「人としておかしいですよね?」
「大人として最低限のことは守ってください」
ひたすら責められた。
ひたすら謝罪した。
札幌旅行で義妹に会いに行くことも考えていたが霧散した。
私の心は更に壊れて動けなくなった。
考え続けて結論を出した。
絶縁だ。
私と娘の幸せにとってマイナスの存在だ。
無理に関係を保つ必要はない。
尊敬するTestosteron様のポスト:
この言葉に救われた。
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その後
札幌旅行を終え、自己満足した。
その後、義伯母に連絡していない。
義母の施設にも連絡していない。
ASDの私は人間関係を維持するのが困難なのだ。
普通の人は継続してコミュニケーションできるのだろうか。
おそらくもう二度と会いに行くことはないだろう。
娘にも伝えてある。
娘がどうしても会いに行きたいと言えば連れて行くが、きっと言わないだろう。
人間関係を維持することにあまりこだわりはないようだ。
娘の夢だった一軒家への引越には転校がほぼ必須。
今の友達に会えなくなっても良いか何度も確認したがそれでも一軒家に引っ越したいとのことだった。
新しい学校で友達を作るのを楽しみにしていた。
凄くポジティブだ。
どんな状況でも、どんな環境でも楽しみを見つけ出して最大限楽しむ。
娘を尊敬している。