目次
妻の死去
2024年1月妻が亡くなった。
妻は病院のベッドで横たわって息をしていなかった。
当時7歳の娘に亡くなった姿を見せるべきか悩んだ。
病院の先生と相談し娘の意思を尊重すべきというということになった。
娘は見たいと言った。
見せた。
娘は大泣きした。
翌日火葬。
葬儀はない。
親族・知人など全く分からなかったので直葬にした。
私だけは見送る予定だったが、娘が学校で「ママ死んじゃったー」と大泣きしてしまったので娘のケアを優先し、当日顔を見ることもなく直葬となった。
私のうつ病
私はうつ病だ。
初診は2023年12月。
妻の死は関係ない。悪化の要因ではあるが。
うつ病の原因は妻による娘への虐待だった。
私の愛した妻は死亡する前から既にいなくなっていた。
大切な娘に虐待する妻に変わってしまっていた。
特にトラウマとなっているのは2023年10月。
私は介護のため帰省。
帰省直前に妻と娘は険悪な状態になっていた。
家を出る際に娘に泣きつかれた。
「行かないで。パパと一緒がいい。」
そうもいかず出立。
帰省先から娘とLINE通話。
時折妻の罵声が聞こえる。
夕食を食べてないらしい。
娘は私の部屋でLINE通話をしているので部屋にある食べられるものを教えてLINE越しに一緒に食べる。
最終的に娘は「パパと一緒が良かった。」と号泣。
私も一緒に号泣した。
この件がフラッシュバックすると激しく嗚咽してしまう状態となった。
妻による心理的虐待
特に酷くなったのは娘が小学二年生になってから。
記録に残してある限りを書き示す。
2023年4~5月頃 毎日のように妻の暴言で娘が癇癪を起こす。「あなたのママじゃない。他人です。」「ママ出ていくね。」「ママいらないね。」「あなたとディズニーに一緒に行くのは拷問。(妻と娘の二人で行く予定だったが、結局妻一人で行った)」「(痛がっている娘に対し)ざまぁ。見て、この喜んでる顔。」「(癇癪を起こし寝転がっている娘に対し)人間じゃないね。動物だね。」「幼稚園からやり直したら?」「あなたのご飯は用意しません。」など。
2023年9月 妻の部屋から閉め出し、「部屋に入ってくるな!腕が入ったら腕を切り落とす。足が入ったら足を切り落とす。首が入ったら首を切り落とす。」と脅す。
2023年9月 朝起き上がれない娘に対し「要介護」と言う。「私はおばあちゃんの介護手続きやってるからね!介護のことよく分かってるよ!手続きやってあげようか?!」と煽る。
2023年10月 娘が学校から帰りたくないと先生に言う。学校から通報。(通報自体は9月にも行われていたがそれは体の痣が原因。痣の理由は不明)
2023年10月 娘が妻を蹴ってしまったことで妻が「出ていく」と言い、娘が癇癪を起こす。以前に蹴った際に「次に蹴ったら出て行っていいね」と約束させたらしい。
2023年10月 妻が娘の大事なものを捨てようとする。その際に娘がゴミ箱の蓋を締め、妻の指が挟まる。以降、妻はそれを根に持ち「ママの指なんかなくなった方が良かったんでしょ!切り落としなよ!」などと脅す。ごみ箱は100円ショップのプラスチックの蓋つきゴミ箱。指を切り落とせるようなものではない。
2023年10月 私は介護のため帰省。娘とのLINE通話の最中に妻の声が聞こえてくる。「飢え死にしてどうぞ。」
2023年11月 私は介護のため帰省。妻は朝食を用意しない。娘が学校に「朝ごはん用意してもらえなかったからお腹ペコペコ。」と報告。
2023年12月 登校前、妻が着替えが進まない娘のパジャマを無理やり脱がせようとし、娘を大泣きさせる。
2023年12月 妻は部屋に引きこもり育児放棄。
あまりにも多くて全て記載できないが、特に「あなたのママじゃない。他人です」「ママ出ていくね」「ママいらないね」という発言は毎日のように繰り返され、娘の心を傷つけた。
私はリモートワークで仕事をしていた。ほとんどの暴言と泣き叫ぶ娘の声を仕事をしながら聞いていた。娘の心が傷つくと同時に私の心も傷ついた。このストレスは尋常ではなく、私のメンタルは崩壊した。これが私のうつ病の原因だ。
私の愛した妻
もちろん私は妻を愛していた。
愛していたから娘が生まれた。
それは間違いない。
しかし、娘が生まれてから徐々に私の愛した妻は消えていった。
虐待が始まり、愛する妻ではなくなってしまった。
私の対応も良くなかった。
虐待行為に向き合ってもっと話し合うべきだった。
最初は冷静に指摘していたはずだった。
よく覚えているものがある。
娘が1歳の頃、離乳食を床に放り投げた。
「もうごはん出さないよ!」と妻が怒鳴った。
「それは虐待だよ。」と指摘。
その後のやり取りは覚えていないが妻は激昂して家を出て行った。
数時間後インターフォンが鳴る。妻だった。鍵も持たずに出て行ったようだった。
部屋に入れ、落ち着いた状態で「親として学んで成長していこう。」「一緒に頑張っていこう。」と諭したつもりだった。
妻の回答は「私は成長なんてしなくない。」だった。
この頃から私は妻を愛するのが難しくなっていた。
愛した妻の消失
2020年7月 妻と娘は険悪な状態。
私と娘は娘の部屋で遊んでいた。
娘が本棚の整理を始めた。
しまじろうのワークブックが右から昇順に並んでいる。
右から4月号で始まって左に5月号、6月号、最後に3月号が一番左で終わっている。(しまじろうのワークブックは左開き。妻は左開きの本は右から昇順で並べる主義らしい。捨てる時に一番古い物の表紙が一番上になるかららしい。)
娘が並び変え始めた。
「あー、1から順に左から並べ替えたいんだな。」と微笑ましく思い、私も手伝って一緒にソート作業をした。
そこに「なにやってんの!」と怒鳴り込む妻。
娘の持っているワークブックを奪い取り元の順番に戻す。
娘は号泣。
あまりに理不尽に感じて私もキレてしまい怒鳴りあいになった。
私は言ってしまった。「あっち行け!」
冷静になれない時は距離を取って落ち着くべきという考えが最悪の形で口から出てしまった。
そこから約1年、私は妻から完全に避けられるようになった。
印象的だったのは3人で行ったランドセルの展示会の帰り。
娘が昼食を食べて帰りたいというので私は店を探す。
店の前に到着したが開店待ち。
妻は娘に対して「先に帰るね」と伝え、帰ってしまう。
私には声もかけずに帰り始める。
「帰っちゃうの?」と声をかけても返事はなかった。
私の愛した妻は完全に消失していた。
心の整理
妻が亡くなってからカウンセリングなどを受け心の整理を行った。
いろいろと悲しみの要因はあるが大きなものは愛した妻の消失だ。
遺品整理をしていると愛した妻と楽しく過ごした思い出の品が出てくる。
その頃の妻に会いたい。
その頃に戻ってやり直したい。
その思いが非常に強く、大きな悲しみの要因になっている。
考えても仕方ないのに虐待を止めるにはどうすべきだったのだろう、何がいけなかったのだろうと考え続けてしまう。
悲しみを受け入れて前向きに生き続ける。
理想は分かっているけど難しい。
少しずつでも頑張っていきたい。
尊敬するTestosteroneさんのポスト:
まさにこれ。
<PR>